絶望先生キャラとSM
毎週毎週テーマに沿ってどうだこうだと書いておりますが、本当にそれでいいんでしょうか。
いや、決して面倒くさくなったから言っているんじゃありませんよ?
ほら、あの、ええと、なんだ、そうそう、あの〜、ね?
このサイトは「さよなら絶望先生紹介サイト」と銘打っていることからもわかるように「『さよなら絶望先生』の面白さを伝えたい」「久米田先生を知らない人がうちをきっかけにファンになって欲しい」という願いが原点にあるわけですよ。
そうだ、そうだよ。うん。
だ か ら
今週は「絶望先生キャラとSM」について語ります。*1
い、いやだなあ。決して面倒くさくなったからそうするんじゃないってさっきからいってるじゃあありませんか。
え?脈絡がない?つまりですね、テーマにとらわれず「今週はここだ!」という部分をピックアップして面白さを伝えるのがうちの使命だと思うんですよね。それが今回たまたまSMだった、と。決して私がドMだとか喜国雅彦先生に影響を受けてそっちに興味があるとかそういうことを言いたいんじゃないんです。本当です。
とっとと本題に入りましょう。
今週は絶望先生こと糸色望の粘着質ぶりが目立ちました。
なんと先生は「何年何月何日に誰からどういうことをされた」という恨みつらみをノートに書き記していることが明らかに。キモッ!そんなことをするのはグンマ博士(南国少年パプワくん)だけで十分です。*2
その話の流れで小節あびる嬢に新たな事実が発覚しました。
↓
↓
↓
見えないところでスネ蹴りをかます包帯少女
あびる………父親だけでなく担任にまで(しかも見えないところで)暴力を………。
素晴らしいじゃないか。*3
さらに普通少女・日塔奈美には「あなたは昨年の10月9日廊下で声をかけた私にめんどくさがって返事しませんでしたね」と追及。
以上の恨みつらみに対する二人の感想がこちら。
↓
↓
↓
この二人のセリフ、対照的だと思いませんか。
全ての人間がサド性とマゾ性の両方を持ち合わせているというのはブリ●ニカ百科事典にも載っているほどの常識ですが、私の分析からいって前者はサド。後者はマゾです。
あびるの場合は自分が非難されているにもかかわらず、そういう粘着質な先生の行動を「キモチ悪い」とバッサリ。
サドは他人を虐めることに喜びを感じます。ドSになると他人を虐めるのが呼吸をするぐらい当たり前のことだと思うようになります。しかしサドにとって逆に自分が虐められるのは不快以外の何物でもありません。上のあびるは「悪いのはお前の方」とばかりに攻撃へ転じています。Sです。
奈美の場合は「無視した」と言われ、「(そんなことあったっけ?)」→「(そんなのいちいち憶えてないよう)」→「(ごめんなさい…)」という思考をたどったと思われ、望の言いがかりを甘んじて受け入れています。
マゾは受身で消極的で周りに流されやすく、奈美はまさにそういうタイプです。
なんでも悪いのは自分の方と無理やり思い込み、でも実はそんな被虐的な自分に酔っている節があります。Mですね。
絶望先生はこんな楽しみ方も出来ます。
いやはや。マンガとは奥が深いのです。