ネットの情報をどこまで間に受けるか 〜『ゲド戦記』は私にとって踏み絵となった。〜


前評判が酷かった。それだけに観に行こうか迷った。
時をかける少女』はあとで必ず観に行きたいので、とりあえずこちらを先に観ておこうと思いました。

行ってきました、『ゲド戦記』。


うん、いや、良かったよ。言われてるほど酷くもなかったよ。
もちろん良作だと手を叩くほどではないけれど、素人監督が作った処女作ならギリギリ合格点じゃない?
ここら辺人にって合格かどうか微妙だけど、私は55点くらいあげたい。少なくともあれは赤点ではないと強調したい。

観終わって感じたのだけれど、ネットのお陰で、さも”目も当てられない酷い映画”であるかのような錯覚が自分の中に形成されて肥大化していたな、と。直接見て評価するもんだね、やっぱり。

確かに演出が唐突な場面がいくつか。説明不足な点がいくつか。試写会の感想も改めて読むと、そうだなと思える点が多々。(具体的な指摘のない罵倒を除く)でもね印象がガラリと変わった。期待してなかったせいかもしれないけれど、本当、自分の目で確かめることの大切さがわかった。


イイと思った所挙げようか?

  • 生と死の哲学的な問いに関して。テルーが「『命なんかどうでもいい』というのと『死ぬのが怖い』というのは同義。どちらもたった一度の生を恐れて逃げているだけ。」という主旨のセリフを言うのだけれど、なるほどと思った。*1
  • 「父親殺し」に関して。「原作にない」というだけで否定している意見があるけどそれは間違いだと思う。オイディプスの昔よりある古典的テーマだし、これは吾朗監督自身が直面している問題だろうし、ジブリが抱えている問題でもある。とりあげるにはリアリティがある。ただ後述の前田氏も指摘の通り、父殺しに至った背景が全くの説明不足。惜しいと思う。
  • パンフレットで岡田准一も触れているけれど、台詞回しでいいなと思うものがいくつかある。直接明言するよりも洒落ている。
  • テルーの唄の歌詞は美しい。監督自身の作詞らしいが(手本にした詩があるとはいえ)、上出来。失礼ながら本当に本人が書いたのか?(苦笑) 鷹や花は通常、”力強さ”や”華やかさ”を表すに相応しいが、ここではどちらも”孤独”を表現するのに使っている。見事。


ちなみに映画好きには御馴染みの「超映画批評」の評価↓

超映画批評『ゲド戦記』35点(100点満点中)

暇つぶしで映画観るならこれ読んで観るかどうか決めてもいいけれど、貴方がもし映画好きなら観た後に自分の感想と擦り合わせとして読むことをお勧めします。35点と厳しい点数ですね。これを見て最初「ああ、ネットの評判は妥当なのかな」と思ったわけですが、でもね、

超映画批評『DEATH NOTE デスノート 前編』25点(100点満点中)

あのネットで上々の評判だった『デスノート』は『ゲド戦記』より10点低いわけですよ。
そして私はこの両批評がそんなに的を外したものには思えない。と言うか的確だと思う。

前田さんの中に「演出が○点で脚本が○点で…」という細かい割り振りがあるのか、それとも私のように感覚で総合点を付ける感じなのかわかりませんが、点数はいつも妥当な感じがしない。私の感覚とだいぶズレている。ただ、本文での指摘は概ね納得のいくものばかり。前田さんが『デスノート』より若干評価高めにしてた、というのも今回観てみようと思った一つのきっかけです。




とにかく期待しないで観てください。それなりです。悪くはないです。

今回私が教訓になったのは、ベタではあるけれど、「それが可能ならば、2次情報ではなく必ず1次情報に直接触れて己の感覚で評価せよ」ということでした。「良い」と感じる点も「悪い」と感じる点も人と共通していたり全く違っていたり、面白いものだなと改めてわかりました。


※補足

  • 元々原作のファンの方は別として、原作読んでから行こうなんて思いなさんなw 原作つき映画はみんなそう。容量無制限の活字メディアを無理矢理商業用の2時間前後パックの映像に納めるんだから比較して勝てるわけがないんだから。映画はあくまで映画として観るもの。評価するもの。
  • 歴代ジブリ作品と比較しなさんなw そりゃ酷だ。でも個人的にはハウルよりこっちが好きだな。

*1:ああでも、これは原作にあるのだろうか?だとしたら映画のイイ点というわけじゃないか?w