本日で「ビヨンド・ザ・どよんど」は2周年を迎えました。

本日をもってビヨどよは2周年を迎えました。

同時に細々と続けてきた「絶望先生紹介ラジオ」も1周年を迎えることが出来ました。ありがとうございます。

これも偏に読者・リスナーのみなさま、久米田康治先生、講談社マガジン編集部のみなさま、はてなダイアリー、私を生んでくれた両親、今までであった友人たち、俺の108人の嫁たち



そして私自身のお陰です。(←こんな時まで自分大好き!か)

以下、独り語り。
私が生まれて初めてホームページを持ったのも11月でした。忘れもしない1998年11月3日。文化の日。当時、数少ない無料レンタルスペースであったGeociteisに、大学のパソコン室から自分のネタをUPして作ったしょうもないお笑いのページでした。

早いものであれから9年の月日が経ちます。
その後、私は日本のインターネット文化を観察研究する文を書いたり読んだりするのが好きになりました。そういったテキストをよく書いていましたが、人気もないし、なかなか注目を浴びることが出来ない。好きなことが書けて満足でしたが、目立ちたがり屋の私はやきもきしていました。(苦笑)

当時人気があったのは個人ニュースサイト。「俺ニュース」さんがまだ活躍していた頃です。プライベートでの落ち込みと、「この分野で頑張っても、今後陽の目を見ることはないだろうなぁ」という閉塞感。半年ほど何も書けなくなりました。*1

「ビヨンド・ザ・どよんど」はこういった行き詰まりの中から生まれました。

さて、では他に何をやろう。
ニュースサイトは自分には出来ないし、情報を流すのではなく、”自分で作る”ということに拘りがありました。かといって絵はかけない。題材として電子マネーもいいなぁ。SUICAっていうのが東京で実用化されたらしいし。でも堅苦しい真面目な文ばかりは辛い。ハガキ職人あがりの私にはやはり細々とネタを書くくらいしか能がありませんでした。それに今までやってきたことに未練もありました。あくまで嫌いになったわけではなかったので。

そんな折。何かが起こるときというのはいくつかの偶然が重なるものでして。はてなダイアリーがそれまで認めていなかったサブアカウントを認めるようになり、私は第二のアカウントを取ることにしました。

新しいことを始めるに当たって、心機一転、別ハンドルでやろうと考えていましたが、中学生の頃から10年近くにわたって使ってきたペンネームをいきなり捨てるのも忍びない。第二の名前と呼んでいいほど愛着があるし、知り合いが検索できなくなってしまう。そんな私にうってつけでした。

同時期に私がよく読むようになったのは所謂「マンガレビュー」サイト。

以前は自分で小説や漫画を発表する人が主流でしたが、ネットユーザー人口も増加し、漫画家のファンサイトの延長から、あらゆる漫画を手広く読んで感想を書いたり、ツッコンだり、発掘したりする人が増えてきました。そして、そんな人たちがたまにある漫画家の事をこぞって取り上げていることに気がつきました。


久米田康治


何故かよくわからないけれど、どいつもこいつも「久米田が〜」「また久米田が〜」と彼の名を引っ張り出している。どうやらギャグ漫画家らしい。ギャグ漫画が好きでギャグ漫画ばかりチェックしていた私でもノーチェックな人でした。試しに読んでみた。驚いた。何に驚いたかというと、

「この人は俺か?!」

というくらい親近感のあるネタ。w
それまでファンになった漫画家との心理的距離感が「雲の上にいらっしゃる漫画家大先生」であるならば、久米田康治は「近所で漫画描いてるおっちゃん」くらいの距離感でした。w


以来、時々サンデーを手にとっては「かってに改蔵」を立ち読みするようになります。


でもそのときは「ふーん、面白いねぇ。」くらいの認識でしかありませんでした。
まだまだ私にとって久米田康治は”たくさんいるギャグ漫画家の一人”に過ぎませんでした。


その認識が一変したのがあの最終回です。


この日も忘れはしません。2004年7月21日水曜日。私の25歳の誕生日です。その日朝から改蔵の最終回を見るべくサンデーを手に取った私。ふーん、あの漫画終わるのかー。程度の気持ちで読み始めました。結果。ビックリした。にわかファンだった私があれだけビックリしたのだから、長いことあの連載を見てきたファンが相当なショックを受けたのは想像に難くありません。いつもザッと読み飛ばしていたその漫画を私は2度、3度と何回も読み返しました。なんだかとてもとても切ない気持ちになりました。

・・・思い出したらまた泣けてきた。(笑)

「この人が新しい漫画を描いたら、応援するためのファンサイトを作ろう」
そのとき心に決めました。ぶっちゃけ、版権物は人が集まり易いぜwwwという思いもあったからですが。(←全部ぶち壊し)



こうしてさよなら絶望先生の連載開始から遅れること半年の2005年11月25日。ビヨンド・ザ・どよんどは開設されました。何故すぐ開設しなかったのかって?準備と構想に時間がかかったのと、あと、正直「すぐ打ち切られやしないか」という不安もあったので。w




これからも「さよなら絶望先生」、ついでに当サイトをよろしくお願いいたします。


★2年前の今日のログ
http://d.hatena.ne.jp/ZGOK/20051125
初々しいw

★1年前の今日のログ
http://d.hatena.ne.jp/ZGOK/20061125
当日は既に2回目のラジオ放送をやっています。

*1:ちなみに当時私がやっていたようなことを今も変わらず続けている人が「まなめはうす」のまなめさんです。