アルバム評:『かくれんぼか、鬼ごっこよ』(3)
07.無神論者が聖夜に
可符香と奈美メインの曲。
ニヒリストがふとクリスマスの夜に大切な人のためのプレゼントを買うという、そんな歌だ。
絶望先生と言えば、クリスマスは因縁の日である。原作を読んでいる人は知っていると思うが、主人公・糸色望はこの日に強烈なトラウマを持っている。
クリスマスに限らず、いつも悲観論ばかりを喚きたてて、ニヒリズムの極北にいる望だが、ふとした瞬間に「世の中そんなに悪くないな」という表情を見せるときがある。彼にとっては”期せずして”ということかもしれない。だがそんなところに彼の人間味を感じてしまう。
私にはなんだか原作者の久米田康治その人を歌っているような風にも見える。
優しい歌である。
どうでもいいけど、「聖夜の夜」ってなんか、「頭痛が痛い」みたいだな。
08.人形たち
傑作。
野中藍さんが収録前日にデモを渡されて一生懸命練習した「うああうああ〜」に気を取られていると「なんか人形とか出てきてお伽噺みたいだな」とスルーしてしまいがちだが、歌詞を読んでも分かるとおり、神様が毒虫を雪のように降らせて*1人類を滅亡させるという、世界の終りを描いた曲である。もうなんか、絶望どころではない。
しかも天使は天使で「私からの手向けだ!*2」と言わんばかりに頼みもしていない人形を送りつけてくる。
この心のない人形は、*3無邪気にも人類たちに
「遅かれ早かれ死ぬんだし、あなたも私も同じ小さな虫のようなものなのだから、最期は一緒に楽しく毒虫の吹雪の中で踊りましょうよ」
とまるで阿波踊りのような口上で自殺教唆してくる。
人類は為す術もなく、扉を叩いて誘いかけてくる人形に言い訳をし、決して扉を開けようとはしない・・・。
・・・って、ホラー映画かよ!
この曲は変拍子を多用していて、。Aメロ”3・2・3・3・2”、Bメロ3拍子、「ヒューヒュー 吹雪」の後のCメロから4拍子に変わる。
良い曲というのは不思議なもので、メロディーや伴奏を聞いただけでその場面の”絵”が浮かんでくる。「ヒューヒュー 吹雪」から先は今まで静かに降っていた雪が急に吹雪に変わったように感じる。
曲の美しさと歌詞のおぞましさを堪能してほしい。
この歌と『さよなら!絶望先生』に関しては歌詞をよく読むことを強くお勧めしたい。
09.人として軸がぶれている - 少女が違うVER
これが全ての始まりだった。
第一期「さよなら絶望先生」のOP主題歌である。
普通の2流3流のロックだと
「報われないのは人として軸がブレているからだ。」
ときたら、
「負けないで」「翼広げて」「明日に向かって」「希望抱いて」「夢をあきらめないで」
と適当に思いついた言葉で穴埋めしてあるものだが、彼の場合は
「それなら居直っちゃえ」「もっとブレまくって震えてるのをわかんなくしてしまえ」「このブレが波動となって世界を変えるんだ」
とか、そんな発想になるのが実にオーケンだよなぁと思う。
そもそもタイトルからしてもうロックじゃない。(笑)
ロックンロールが好きな人はわかってくれると思うが、日本語というのは致命的なほどロックに合わない言語である。日本語をグチャグチャに崩して、何言ってるかわからないようなくらいまで崩してメロディーに合せている日本人ロッカーたちの苦労をご覧いただけれればよく分かると思う。しかしそれは当然のことで、やはり言語と文化と音楽というものが不可分である以上、その音楽が生まれた文化の言語でその音楽を歌った方が一番しっくりくるのは仕方がないのだ。
オーケンは筋少・特撮の曲のほぼ全ての歌詞を書いているが、英語はほとんど使われていない。日本語ばかりだ。この人はロックに日本語を合わせるのではなく、日本語にロックを合わせているように見える。それは、ただ単に日本語のみでロックの歌詞を書いている、ということではなくて、それ以上のことをやっているということである。
私が何を言いたいかというと、オーケンは「食パンに餡子を塗ってアンパンです」という人ではなく、アンパンというパンを作ってしまった人だといいたいのだ。これは凄いことだ。
<つづく>
- アーティスト: 大槻ケンヂと絶望少女達,大槻ケンヂ
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